ちろねこの思考の産物

日々の雑感やら書きます

思考はコントロールできない?!

はてなブックマークを利用し始めてから約3ヶ月
はてなブログも作ったので、はじめてブログ更新してみる。
はてなブックマークを利用すると、感度の高い(と思われる)記事をたくさん読むことが出来るが、
生来情報発信する人間ではないため、自分の脳みそが情報過多になっているらしい。
それにより脳みそのメモリ消費量が多いようなので、ブログに出力することでメモリの空きを作ろうと思う。
また、普段使わない知識を外部ストレージに保存する感覚でブログを書こう。
最初に書くテーマは『思考はコントロールできるのか』といったことだ。

結論から言うと、
『思考はコントロールできない。自動で再生されるもの』
『思考を留めない状態が一番幸せである』
の2点に集約される。

私の短い経験を通してそう思った経緯を記そう。

ことの発端は私が大学生2年生の頃だ。
当時、あるきっかけにより『金持ち父さん、貧乏父さん』という名著を読んでしまった。
なまじ仕事やマネーに関する穿った概念が形成されてしまい、従業員として一生を過ごすのは嫌だ!と頑なに拒むようになった。
いわば働きたくないというモラトリアムな考えの言い訳に、マネー本の知識を利用するようになったのである。

従業員として働く以外にどのような働き方があるというのか。
著書には4つの働き方の分類がされていたが、その中の経営者もしくは投資家になろうと思った。
経営者や投資家になるためには自分の能力の向上が必要だと思い、自己啓発系の本やマネー本にハマるようになった。
こういった本を読んで洗脳が解けた方にはお分かりだろうが、読後気分がよくなるだけで一切実務的に必要な知識は身に付かないのだ。
私は、大富豪になりたいというピュアな夢(=欲望)を出版業者に利用されるというよくある落とし穴にハマってしまったのである。

記憶にあるだけで読んだ本は下記のとおり。
それぞれどこかで聞いたことがあるような名著だと思う。

・金持ち父さん、貧乏父さん
ユダヤ人大富豪の教え
・実践!億万長者入門
・黄金の羽根の拾い方
・7つの習慣
・ザ・シークレット
・思考は現実化する
ドラッカー博士の選択理論

読み進めていく内に私のモラトリアム心にヒットする本があった。無論、『ザ・シークレット』と『思考は現実化する』である。
これらの本の内容を1行で表現すると、「常々頭の中で思っていることが現実に引き寄せられるよ!」ということである。
「頭で思っているだけで欲しい現実が手に入るなんて、そんなわけ無いじゃん。」
と最初に読んだときはそう思うのである。
しかし、同様の論法で、「あなたがそう思っているから思い通りにいかないという現実が引き寄せられるのですよ。」
と書いてある。書いてある。書いてあるので「確かにそうかもしれない」と、どんどんザ・シークレットの考えに洗脳されていくのである。

実際に私が想像したことは次の通り。
不労所得年収1億円!毎日休日!毎日海外旅行!豪邸住み!」
大学2年生の頃この夢を描き、7年後の現在。
私は持ち家や財産、仕事、全てを失っている。
あー確かに毎日休日!の思考だけは現実化してるなぁ~~~ってバカヤロッ!
現在私を支えてくれる人がいるお陰で生活することができている。

全てを失ったが、時間と健康がある、大切な人がいる、ということに私はとても感謝している。
そして、上記の本の考え方には根本的に欠陥がある、ということだけは解った。
そもそも前提が誤っている。思考なんて呼吸と一緒でほんの一瞬止めたりはできるが、
そもそもコントロールできるもんじゃないということだ。

証拠をお見せしよう。今からたった10秒でいい。何も考えないでください。
ラーメン食べたいとか猫撫でたいとか明日の仕事嫌だとかあいつムカツクとかそんなことするのは面倒臭いなぁとか1秒…2秒…3秒…とか一切思ってはダメだ。
さあ!やってみよう!

1…

2…

3…



…10秒!さあ、どうだっただろうか?
何も考えないということを出来ただろうか。
おそらくとてもくだらない思考が脳内で自動再生されて止めることなんて出来なかっただろう。
人は1日に6万回も思考すると言われるように、思考を止めることなんてことはできないんだ。
この事実(と、今の私はそう思っている)に気づかせてくれたのは、次のような著書だ。

・探すのをやめたとき愛は見つかる―人生を美しく変える四つの質問
・嫌われる勇気
・ザ・マネーゲームから脱出する方法
・A new earth

そもそも思考をコントロールできないのに、『思考は現実化する』なんておかしな話では無いだろうか。
思考は自動再生なのであれば、これは現実を変える本ではなく運命を受け入れる本だ。

…そう、確かに前者の本も後者の本も概ね嘘はついていない。
確かに思考は現実化するし、人生の展開をコントロールすることは出来ないのだ。
ただし、前者のような著書には欲望を肥大化させる要素がふんだんに盛り込まれている。
思考はコントロールできるという前提でもって、思いさえすればお金、地位、名誉、何でも満たせると勘違いさせてくるのだ。

それに比べ後者は悟りの書。
思考は自動再生であるため、そういったものは眺めるだけに終始し、今足元にある幸せに気づく書だ。
アイデンティティを観察者に移す(=失くす)書と言い換えてもいいだろう。

私の現在の結論としては、思考すら自動再生されるのだから、
観察者としてこの人間のありのままを観察していよう、ということだ。
ただただ感情の変動を感受する、それが人生の醍醐味なのだ、と。
そして、ここで語っているのも観察者のフリをした風変わりなエゴの一つなのであろう。